samhyのブログ

年商2億の社長から一転、アルバイトに。
収入は6分の1へ。
義父を相手に法廷闘争へ。

あの日

2015年8月4日、義父から

「会社でマンションを借りるから、、

…もしかしたら(代表者である)お前に確認の電話がいくかもしれんから、掛かってきたら、応対しろよ」

と。


最初は意味が分からなかった。


続けて

「まあ、その子の替わりに借りてあげるだけだし、心配するな」

「S(義父の奥さん)やM(私の嫁さんであり義父の娘)には言うなよ」


と。


どうやら、懇意にしている女性のために、賃貸マンションを名義貸ししてあげる、その為には、義父の年齢では借りれないから、会社名義にするようだ。



私は口止めするように言われたものの、契約名義が法人とはいえ、責任が私に掛かってくる事が心配で、嫁さんに言わない訳にはいかなかった。

社長就任

そんなある日(今から3年前)、


事務所の移転を機に、義父が法人にしようと言い出し、私を代表取締役に決めてくれた。


義父は取締役兼オーナーとして実質的経営者。

私が社長(名ばかり)となった。



株式会社Kの代表取締役に就任した私は、今までの営業職に加え社長業務も担い、朝から深夜まで、忙しく働いた。



義父との関係は、

以前と変わらずぎくしゃくしたままで、

会えば怒られるため、私も義父を避ける日々だった。


数字が良いときは

「お前の社長なんて、名前だけなんだからな!!」


問題が起これば

「お前が代表なんだから!」


と、怒ってばかり。



私は

『ゴールが無い訳では無い、

いつかは自分が経営させてもらえるんだから、』

と自分に言い聞かせ、我慢を続けた。

父との仕事

当時、

義父の営む事業は、番頭さんI(50歳)と、事務員、そして私という体制。


私は番頭さんに見習いとして付いて、営業を学んだ。


義父は「俺はIの事が大っ嫌いだから、早く辞めさせたい」が口癖で、社内の雰囲気は悪かった。



4年程前、義父からIさんに対する嫌がらせは酷くなり、追い出されるようにIさんは退社。


まだお子さんもいる人をリストラするなんて、冷酷だと思った。


私にとっては、営業を教えてくれた先輩でもあり、気の毒でならなかったが、

義父から会社を受け継ぐためには、仕方がないのかも、と、複雑な想いだった。



Iさんが抜けて、社のムードが良くなるかと思いきや、矛先が私に変わっただけだった。

顔を合わせると嫌み、意味不明なことで罵倒。言ってることはコロコロ変わるし。


「どうしたら義父とコミュニケーションが上手にとれるんだろう」


と、毎日悩む日々。