samhyのブログ

年商2億の社長から一転、アルバイトに。
収入は6分の1へ。
義父を相手に法廷闘争へ。

失業生活へ

帰宅後、嫁さんに内容を話して、泣けてきた。


義父に伝わらなかった悔しさと、

緊張からきた苦しさと、

もう仕事ができない苦しさと。


色々な感情で涙が溢れた。


嫁さんから

「あなたは間違っていない。私たちのために戦ってくれてありがとう」

と言われ、少しホッとした。



事務員から嫁さんへ連絡があった。

「会長(義父)から電話があって、『明日会社に行っても商品や通帳、帳簿が無いけど心配するな』って」

と。

どうやら、私が仕事ができないようにして、社から追い出すようだ。



10月8日

義父より先に出社すると、やはり全て無くなっていた。


私はもう、この会社で仕事ができないんだ。


絶望した。


自分がしたことはさておき、

言及した私を追い出すために

物を隠して

子供のイジメのようだ。


悔しかった。


諦めてすぐに帰宅し、私の失業生活が始まった。

全面戦争

週が明けて、月・火曜はお互い出張で顔を合わさなかった。

私は義父に対して、毎日欠かさなかった業務報告の電話もしなかった。



10月7日


水曜日はついに対面した。


久々に見る義父の顔。

家族を裏切り、

私に責められた分際でも、

取引先にヘラヘラして、、と、

怒りが込み上げてきて、体が震えた。


終業後、義父から呼ばれた。

話があると。。



全面戦争が始まった。



義父「月・火曜と、電話が無かったが、何でだ?」

私「あなたの声なんか聞きたくなかったからです」

義父「それなら、会社を辞めろ」

私「あなたが辞めてください」


先日同様、私は今まで言ったことの無い、義父に対しての意見を続けた。怒りを込めて。


義父「お前は俺に対して、みんなの前であんなことを言いやがって。頭がおかしいんじゃないか?」


義父は、

自分の犯した罪には反省も無く、

批判した私を逆に責めてきた。



私「お母さんがどれだけ悲しいのか、分からないんですか!?私の家庭まで傷つけて!」


私は毎日泣いている義母や、嫁さんの辛さを何で分からないのか!?と、責め続けたが、

義父には通じなかった。


伝わらなかった。


正論で責める私に対して、

揚げ足を取るような反論ばかりの義父。


まるで子供だ。


私が今まで義父から受けてきた、パワハラに対する怨みも重なって、怒りが爆発した。


だが、

言っても言っても、論点が噛み合わない。


スッキリしたような、

悔しいような。



結局、1時間程言い合いをしたが、

伝わらなかった。


帰宅時、私は極度の腹痛に襲われた。

病院での診断は「ストレスにより、腸が、止まった」だった。


本音を全てぶつけれたが、もう仕事は続けられないな、と、思った。

最後の家族会議

義妹宅にて。

私と嫁さん、義母、義妹、そして怒り狂った義父。


「俺は別れるつもりなのに、実家に行きやがって、、許さんゾッ!!!」

怒鳴り散らした。



46年間、

嫁さんの家族は、

横暴な父親に矛盾を感じても

モノも言えない家庭だった。


義父に対して本音は言えずに

ただただ黙って言うことを聞く

そんな家庭だった。


そこへ入った私もまた

義父に対して意見なんて言えず、

萎縮してきた。



だが私はついに、今まで溜まっていた線がキレた。

義父と出会って10年、初めて意見を口にした。



「お母さんとM(嫁さん)に、謝ってください!!!」


皆、静まりかえった。


…お父さんにそんな事を言って良いの?…


だが私は止められず、どんどん攻め立てた。


「お母さんがどれだけ泣いているか、分かってるんですか?」

「嘘ばっかり重ねて、裏切って、何様なんですか?」


怒りが溢れて、自分を止められなかった。

生まれて初めてだった。



みんなの前で責められて、義父は意外にも

黙り混み、

反論もしなかった。


睨み付ける私に対し、

目を反らして、不貞腐れて、

子供みたいだった。



結局その日は、何か結論が出ることもなく、終わった。


私は少しだけスッキリしたが、

週明けからの仕事、もう働けないのかも、、

と、不安もあった。